音楽活動の軌跡【シリーズ⑱】
blogネタに困った時に使うシリーズネタ第二弾「音楽活動の軌跡」の第十八回です。
いよいよ最終編の茨城での音楽活動です。
と言っても現在進行形でもありますが(^^;)。
地元が茨城と言っても二十年ぶりに戻ってきたわけですので、ゼロからの出発でした。
ユニットVoをメン募サイトで探す傍ら、群馬時代の知り合いバンドがツアーに来ていた90EASTに行ってみました。
通勤途中でもあったので、どちらかと言えば呑みに寄っていた感じですが(笑)。
そこでこの辺りの音楽事情の情報収集をし、「オレも音楽やる人です」アピールをする為に弾き語りソロでステージに立ったりもしました。
そうこうして約半年。
メン募サイトで応募してきた『MaRizz』Vo:mariと巡り合いました。
当時のmariは19歳全くの初心者。
彼女の声質と可愛らしいルックスに惹かれ、これまでのノウハウをフル活用しマジメに売り出そうとがんばりました。
ちなみに『MaRizz』と言うユニット名はVo:mariにzzを付け加えただけですが、これだと「まりず」ではなく「まりっつ」て読むんですよね(^^;)。
でもネットで名前を検索するとトップに表示されるようにするため、敢えてzzを付けました。
これはそれまでの活動で学んだノウハウの一つです。
そして打ち込み音源もリニューアルし、完全なDTM環境に切り替えてパソコンで全編集が出来るようしました。
デモ音源の音質も格段に向上できたと思います。
ホームページも一新し、もろもろのPRツール環境もそれなりに準備しました。
しかし、問題はmariへの音楽指導(^^;)。
ぶっちゃけmariは音程音痴&リズム音痴だったんですよね(笑)。
楽曲はそんな面が目立たないような曲を試行錯誤して作り直しました。
ライブも打ち込みだと唄のアラが目立つのでアコースティックのみにしました。
更にVocal教室に通ってもらい、音楽面もキチンと指導してもらうようにしました。
先生も熱心に指導してくれて、オレともやり取りをしながら二人三脚?
二年もした頃には格段にレベルアップすることが出来ました。
↓「明日へのチカラ」※ここまで唄えるようになったのは当初から考えるとサプライズレベルです(笑)。
結果オーライですが、それまでオレはめちゃ苦労しました。
当時のmariは生意気盛りでしたし、裏方の音作りやブッキング等の営業活動はほとんどオレがやっていました。
当時は「若いコ捕まえてプロデューサ気取りのオッサン」と揶揄されたこともありますが、
オレの苦労と努力はこれまでの音楽活動で最高レベル(仕事以上?)でした。
でも「最後になるかもしれないオリジナルユニットなので可能な限りがんばろう」という想いでやり続けましたね。
そして最後にアルバムを作ったところで、mariのHappyWeddingとなり活動停止となりました。
●home-海の見える街- ※mariの地元日立市を唄った曲です。一番演奏した曲かもしれません。
『MaRizz』活動を終えた頃、それまで作ってきた楽曲を振り返って一つの疑問が芽生えてきました。
「オレの作る曲ってどうなのよ?」
もしかしてアレンジの問題かな?と思って「初音ミク」で過去曲の打ち込みリメイクして試行錯誤したりして(^^;)。
●元気を出して ※初音ミク打ち込みリメイク
そして一つの結論が、、「オレの曲(メロディ)はもう時代に合わないんじゃね?」(笑)。
オレの感性が時代について行けない状態になっていると感じたんですよね。
そう思い始めていた頃、バンドの方のメン募つながりでVo:ひなたちゃん(当時25歳)と出会いまたユニット活動を始めることになりました。
11代目ユニット『hinata』です。
そこで「もう一回チャレンジしてみよう」と言う事で新しい楽曲スタイルを目指して2曲ほど曲を作りました。
しかし、形にする間もなくVo:ひなたちゃんが病気で体調不良となり約半年で活動停止することとなりました。
これは「もう潮時だぞ」って運命なのかな?と思いましたね。
仕事も忙しくなった時期だったので、これを機にオリジナル曲を作るのを辞めることにしました。
2000年から開始したオリジナルユニット活動ですが2015年まで約15年の活動を行って終焉を迎えました。
自作オリジナル曲で自分の音での最前線での音楽活動をずっと続けてきたつもりでしたが、ここで引退した感覚です。
それまでオレの音楽にお付き合いしてくれた皆様に深く感謝です。
いよいよ最終編の茨城での音楽活動です。
と言っても現在進行形でもありますが(^^;)。
地元が茨城と言っても二十年ぶりに戻ってきたわけですので、ゼロからの出発でした。
ユニットVoをメン募サイトで探す傍ら、群馬時代の知り合いバンドがツアーに来ていた90EASTに行ってみました。
通勤途中でもあったので、どちらかと言えば呑みに寄っていた感じですが(笑)。
そこでこの辺りの音楽事情の情報収集をし、「オレも音楽やる人です」アピールをする為に弾き語りソロでステージに立ったりもしました。
そうこうして約半年。
メン募サイトで応募してきた『MaRizz』Vo:mariと巡り合いました。
当時のmariは19歳全くの初心者。
彼女の声質と可愛らしいルックスに惹かれ、これまでのノウハウをフル活用しマジメに売り出そうとがんばりました。
ちなみに『MaRizz』と言うユニット名はVo:mariにzzを付け加えただけですが、これだと「まりず」ではなく「まりっつ」て読むんですよね(^^;)。
でもネットで名前を検索するとトップに表示されるようにするため、敢えてzzを付けました。
これはそれまでの活動で学んだノウハウの一つです。
そして打ち込み音源もリニューアルし、完全なDTM環境に切り替えてパソコンで全編集が出来るようしました。
デモ音源の音質も格段に向上できたと思います。
ホームページも一新し、もろもろのPRツール環境もそれなりに準備しました。
しかし、問題はmariへの音楽指導(^^;)。
ぶっちゃけmariは音程音痴&リズム音痴だったんですよね(笑)。
楽曲はそんな面が目立たないような曲を試行錯誤して作り直しました。
ライブも打ち込みだと唄のアラが目立つのでアコースティックのみにしました。
更にVocal教室に通ってもらい、音楽面もキチンと指導してもらうようにしました。
先生も熱心に指導してくれて、オレともやり取りをしながら二人三脚?
二年もした頃には格段にレベルアップすることが出来ました。
↓「明日へのチカラ」※ここまで唄えるようになったのは当初から考えるとサプライズレベルです(笑)。
結果オーライですが、それまでオレはめちゃ苦労しました。
当時のmariは生意気盛りでしたし、裏方の音作りやブッキング等の営業活動はほとんどオレがやっていました。
当時は「若いコ捕まえてプロデューサ気取りのオッサン」と揶揄されたこともありますが、
オレの苦労と努力はこれまでの音楽活動で最高レベル(仕事以上?)でした。
でも「最後になるかもしれないオリジナルユニットなので可能な限りがんばろう」という想いでやり続けましたね。
そして最後にアルバムを作ったところで、mariのHappyWeddingとなり活動停止となりました。
●home-海の見える街- ※mariの地元日立市を唄った曲です。一番演奏した曲かもしれません。
『MaRizz』活動を終えた頃、それまで作ってきた楽曲を振り返って一つの疑問が芽生えてきました。
「オレの作る曲ってどうなのよ?」
もしかしてアレンジの問題かな?と思って「初音ミク」で過去曲の打ち込みリメイクして試行錯誤したりして(^^;)。
●元気を出して ※初音ミク打ち込みリメイク
そして一つの結論が、、「オレの曲(メロディ)はもう時代に合わないんじゃね?」(笑)。
オレの感性が時代について行けない状態になっていると感じたんですよね。
そう思い始めていた頃、バンドの方のメン募つながりでVo:ひなたちゃん(当時25歳)と出会いまたユニット活動を始めることになりました。
11代目ユニット『hinata』です。
そこで「もう一回チャレンジしてみよう」と言う事で新しい楽曲スタイルを目指して2曲ほど曲を作りました。
しかし、形にする間もなくVo:ひなたちゃんが病気で体調不良となり約半年で活動停止することとなりました。
これは「もう潮時だぞ」って運命なのかな?と思いましたね。
仕事も忙しくなった時期だったので、これを機にオリジナル曲を作るのを辞めることにしました。
2000年から開始したオリジナルユニット活動ですが2015年まで約15年の活動を行って終焉を迎えました。
自作オリジナル曲で自分の音での最前線での音楽活動をずっと続けてきたつもりでしたが、ここで引退した感覚です。
それまでオレの音楽にお付き合いしてくれた皆様に深く感謝です。
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